第6話 さらわれた愛美
愛美は今すぐにでもこの場から逃げ出したかった。
朋美がプレイルームから去り藍子とふたりきり。身元がわかっていることが唯一の救いだったが、この部屋に衣類はなく両手の自由を奪われている。愛美は藍子に何をされても抵抗ができない。恥丘の飾り毛も剃られてしまった。
次は何をされるのだろう。
その恐怖の半分くらいは期待もある。朋美の言うように自分はMなのだろうか。床に正座していた愛美だが、少しでも肌の露出を防ごうと藍子に向かって半身になる。その行為が大した意味を持たないことを思い知らされた。
「どれを使って調教しようかしら?」
その部屋にあるものは、どれも恐ろしいものばかりだ。少なくとも愛美にはそう見えた。首を横に振るだけで、どれかを選べるものではない。
「これなんかどう。辛いわよぉ」
藍子は三角木馬を指さした。
「見てご覧なさい。背が尖っているでしょ。角度は四十五度なの。普通は六十度なんだけどね。これはもう責め具というより拷問具だわ」
藍子は自慢げに説明を続けた。
実際にこれを使ってプレイをすることはないらしい。店の宣伝写真に使われたり雑誌の取材で取り上げられたりすることは多く、今までに何人もの真性M女が挑戦したが、誰ひとりとして耐えられた者はいなかった。腰を下ろした瞬間に悲鳴を上げて許しを請う程だったそうだ。
「ハダカでこれに跨ったらどうなると思う」
藍子が木馬の背を人差し指の先で撫でて見せたが、すぐに引き戻し口に含んだ。
「おお痛っ。ほらね、このとおり」
その指先を愛美の目の前に持って来る。一直線に痕が付いていた。刃物ではないから切れることはない。それだけに深く食い込み、長時間に渡って苦痛を与え続けることができる道具なのだと、藍子は結んだ。
「朋美ちゃんもこれだけは耐えられなかったのよね」
意外な言葉に愛美は目を丸くして藍子を見つめる。
「朋美さんが……」
「そうよ。あの時は両手吊りだったし足に錘も付けていなかったのだけど、それでも五分と持たなかったわ。朋美ちゃんがあんなになったのは、後にも先にもあの時だけね」
「いやぁああああああーーー」
愛美は体を揺すって叫ぶ。後ろ手のロープを引きずったまま出口に向かって走り出したが、鉄格子に阻まれるだけだった。
「そんな格好でどこに行こうというのかしら」
藍子がゆっくりと追いついて来た。
「死んじゃう。あんなのに乗ったら死んじゃうよぉ」
半狂乱になるのも当然だった。愛美にとって朋美は何でもできるスーパーヒロインだ。その朋美を屈服させる凶器が目の前にある。
「大丈夫よ。愛美ちゃんを三角木馬に乗せたりはしないわ」
「ホント……ですか」
「ええ。その代わり、他のことは何でも言うとおりにするのよ」
愛美は頷くしかなかった。
藍子に促され愛美はプレイルームの中央に戻された。後ろ手のロープはそのままで床に座らされる。藍子はボードからクリップをふたつ取って来た。
「まずは逃げだそうとした罰をあげるわ」
愛美の脇に膝を付き含み笑いを見せる藍子。その口元に気を取られた瞬間、乳首に激痛が走った。まるでクリップに噛みつかれたようだ。家庭用の洗濯ばさみを少し大きくしたような造りだが、先のギザギザが大きくバネも強力だった。愛美は奥歯を噛みしめる。
「だらしないのね。木馬に乗ったらこんなものでは済まないわよ」
藍子はもう片方の乳首にもクリップを付ける。
「あうっ」
愛美は息を押し殺す。悲鳴をあげる訳にはいかない。藍子は逃げだそうとした罰だと言った。逆らえばもっと辛い目に遭わされるのだろう。それはわかっていても、この痛みは半端ではなかった。
「ホントはここに錘を下げたりするんだけど、今日はこれで勘弁してあげるわ」
愛美は血の気が引く思いだった。今のままでもクリップの歯が肌を食い破りそうなのだ。錘なんて付けられたらどうなることか。SM嬢たちは、いつもそんなことをやっているのだろうか。
クリップを外してもらったのは良いが、乳首にはまだ痛みが残っていた。傷が付いているかもしれない。そう思っていると、藍子が患部に舌を這わせた。傷を舐められることが気持ちいいと感じるなんて、愛美には思いがけないことだった。朋美の愛撫とも違う。ただ痛みを和らげるためだけの舌遣いはくすぐったくもある。両方の乳首を舐めて貰い、痛みが引いた。
「ありがとうございます」
藍子は愛美の言葉を受け流した。
「愛美ちゃんは恥ずかしいのが好きなのよね」
やさしげな言葉の裏側で藍子の唇が妖しい笑みを浮かべる。獲物を狙う牝豹さながらだ。愛美の背筋に冷たい滴が流れた。
藍子がロープの束をほどく。愛美はあぐらを組むように言われた。藍子はその交差した両足首にロープを巻き付ける。縄止めとした後、余ったロープを首の右脇を通して手首のロープに引っかける。愛美の上体を足首に押し付けロープを引き絞り、今度は首の左脇を通して足首に戻す。そこでもう一度縄止め。愛美のエビ縛りが完成した。
「気分はどう? ちょっときつかったかしら」
口ではそういうものの、愛美を気遣っている様子はない。
「は、はい。大丈夫です」
そう答えるしかなかった。ハダカであることには変わりないが、ここまで体を小さく畳まれると乳房や股間を晒さずに済む。恥ずかしさが軽減できると思えば、この方がむしろ良いのかもしれない。
「愛美ちゃん、まさか濡れてないわよね」
藍子が愛美の顔をのぞき込む。
「ええっ、そんなこと……」
「ハダカにされて縛られたり、乳首のクリップ付けられたりして濡れてたら変態よね。でも愛美ちゃんの場合はアソコの毛も剃っちゃったし、もう十分に変態かしら」
正直なところ、愛美にもわからなかった。SMという響きにも興味はあったが、朋美に連れて来られなければ、近づくこともなかったと思う。こんな目に遭っても本気でイヤだとは思わない。あの三角木馬を除けば、だが。
「確かめてみようか」
藍子の言葉にゾクリとするものを感じた。
「このまま後ろに倒したらどうなると思う?」
思ってもみなかったことだ。愛美は自分の姿を想像する。後ろに倒れるということはお尻が上を向くわけで……そう考えている間にも、藍子はクッションを持って来て愛美の後ろに敷いた。
「あっ、ダメっ」
その時にはもう遅かった。藍子に抱え上げられ、愛美は仰向けになる。そこまでは剃毛の時と同じだが、足首を縛られているから股間を閉じることはできない。お尻が完全に天井を向き、少女の最も恥ずかしい部分が最も目立つ位置に来る。花芯もアヌスも隠しようがない。
「ああーん。こんなのダメです。イヤっ、は、恥ずかしいです」
愛美は首を振り続ける。藍子の視線がその部分にだけ注がれているように思えた。
「かわいいお尻ね。愛美ちゃんって上つきなんだ」
「ああ、言わないで……」
「ビラビラが小さめみたいね。これを剥がすとクリトリスよね。剥き出しにしちゃおうか」
「ダメぇーーー」
朋美には何度もその部分を舐められたが、こんなに明るい場所で観察されるなんてことはなかった。藍子がまたいちいち口に出して解説するのだから意地が悪い。愛美の羞恥は底が見えなかった。
「でもやっぱり濡れてたんだ。愛美ちゃんってエッチな女の子だったのね」
「そんなこと……」
ない、と、この状況で言っても説得力がないだろう。
「ううん、変態だわ。愛美ちゃんはマゾの変態女」
「あふぁ……」
「ウソついてもダメ。ほら、こんな蜜が溢れてる」
藍子が花芯に指を這わせ愛美の愛液をすくい取る。
「ひぃいいいーーー、ダメぇーーー」
濡れ濡れになった指先を鼻先に翳されても、愛美はそれを見る余裕がない。乳首を舐められた時から、いやもっと前、飾り毛を剃られている時から濡れ始めていた。もうとっくに潤っていたのだ。
「ダメじゃないでしょ。私の指をこんなにしちゃってどうするの?」
「ご、ごめんなさい。私、ああ、イヤッ……」
花芯に直接与えられた刺激で愛美は壊れ掛けていた。
「しょうがないわねぇ。こっちのおマメちゃんに責任とって貰おうかしら」
藍子が包皮を剥きにかかる。
「あひぃっ。な、何を?」
「クリトリスをいじめてあげるわ。変態じゃないって言うならイッたりしないでよ」
それはハナから無理な相談だった。藍子の唇が包皮に重なり舌先が肉の芽に絡みつく。手足の自由を奪われ、少女の恥じらいに甘美な刺激を与えられて性的な興奮を感じないわけがない。愛美のそれは上り詰める寸前にまで達していた。
「ああ、こんな。ダメっ、ダメです。こんなのイヤっ。あ、ダメぇーーー」
「かわいい顔して、色っぽい声を出すのね」
愛美は自分のクリトリスが異常なまでに肥大化しているのを感じた。それが今、藍子の集中攻撃を受けて白旗を揚げようとしている。
「やめて。ああ、やめてください。これ以上されたら、私……」
「あら、イッちゃうの?」
「イヤっ。イっ、イキたくない」
愛美は首を大きく振る。ねじ切れんばかりの勢いだった。
「そうよね。こんな格好でイッたら、自分が変態だって認めたことになるものね。やめてあげてもいいけど、愛美は私にウソを付いたことになるわよ」
「な、何のことですか?」
「三角木馬に乗らなくて済むなら何でもするって言ったじゃない。忘れたの」
藍子が顎で指し示す。その先には背の尖った木馬が不気味な存在感を現していた。愛美は慌てて目を背ける。藍子と目が合った。
「思い出したようね」
「は、はい。でも……」
「だったらこっちは諦めるのね」
言うが早いか、藍子の舌がクリトリスを舐め上げた。
「ひぃいいいーーー」
愛美の歯茎に力がこもる。口が左右に引っ張られた。
(イッちゃうの。相手は朋美さんでもヤッくんでもないのに)
藍子は今日初めて会ったばかりの人。それもSMクラブでアルバイトをしている商売人だ。中学生の愛美には、まだセックスを神聖視する感情が残っていた。愛し合う人同士がお互いの心を触れあわせる行為でなくてはならない。つい最近までは男女間でなければならなかった行為でもある。
「ああっ、変。やっぱ、こんなの変だよ」
感情を無視して、ただ生物の本能を操られることで得られる快感に身を任せる。それを変態と呼ぶのなら、愛美はその淵に立っていた。
「正直になりなさい。どうせ逆らえないんだから」
「はあうぅぅぅーーー」
愛美がいっそのこと楽になってしまおうと心を動かした刹那だった。藍子はクリトリスへの刺激を指先に明け渡す。触れ上がった肉の芽に触れるか触れないかの位置を浸食されながらも、絶頂はお預けになる。
これで良かったのかどうか、愛美にも答えられなかった。
藍子の舌は花芯へと移動していた。潤いを帯びた肉ヒダの合間に舌の先が押し入る。本丸を目の前にした小競り合いに性感が疼く。それでいて決定的な刺激は与えられない。「イキたくない。止めて欲しい」と繰り返して来た愛美だが、ここで止められたらどうなるのだろう。手足の自由を奪われたまま放置されたら、それこそ気が狂ってしまうのではないか。今どうすると聞かれたら、恥ずかしい言葉を口にしてしまうのではないか。
「はうっ、そ、そこは……」
愛美には考える間もない。藍子の舌がアナルを舐めた。その部分を本来の役割以外で使ったことのない愛美は、芋虫が肌を這うようなおぞましさに身震いしながらも、それだけではすまされない違和感を覚えた。
「あああっ。ウソっ、これって……気持ちがいいの」
疑問符を付けて良いのか迷われる。自分でさえ、その部分に触れることは少ない。まして他人に、それも舌先で扱われるなど、想いも寄らないことだった。
「敏感なのね。責め甲斐があるわ」
藍子に指摘され、愛美はアヌスでも性的な興奮を覚えていることを知る。
途端に秘孔の奥が絞られるように熱くなり、蜜があふれ出す。その部分には全く触れられていない。上と下からの挟み撃ちで、羞恥の源泉が勢いづく。もどかしさを伴った快感が脳天まで突き上げ、思考能力を妨げる。
「ああああああああぁぁぁーー」
愛美は一際大きな声を上げた。と言うより、藍子によって絞り出されたと言った方が正解だろう。本人の意志とは関係のない喘ぎだった。
「小娘のくせにいやらしいのね。そんな声を聞かされたらよぼよぼのおじいちゃんだっておちんちんが起っちゃうわよ」
「イヤっ、ダメぇえええーー」
愛美のそれは「おちんちん」という単語に反応したものだった。クリトリスとアナルを責められ続け、放置されたままになっている秘孔がそれを求めていたのだろうか。もしここにそれが現れたら、誰のモノでも欲してしまうのだろうか。
「何がダメなのかしらね。ひと思いに認めちゃったら。私は変態ですって」
「イヤあぁぁぁ、私……うっ、そんなっ。はぅ……いっ、イヤっ」
何がイヤなのか、愛美自身にもわからなくなっていた。こんな場所で、会ったばかりの人にイカされるのがイヤなのか。それとも、イク寸前にまで追いつめられていながらイカせて貰えないのがイヤなのか。
「た、助けて。朋美さん……」
愛美の膝が揺れ始めた。足首を縛られているから閉じることはできないが、結び目を中心に羽ばたくような動きを見せる。
「そろそろ限界みたいねえ」
藍子の言ったことなど耳に届いていなかった。
「ああーん。はふぅうううん。ああああ……」
イキそうでイカせて貰えない。そうした責め自体が快感に変わって行くようだ。じわじわと真綿で締め付けられるように全身に広がる感覚。頭の中の何もかもが消されて行く。引くことも進むこともできずに現状維持を余儀なくする。
アナルへの刺激はいつの間にか指に変わっていた。クリトリスと摘む指先にも力が込められた。その真ん中の熱く煮えたぎった部分に旋律が走る。藍子の舌先が侵入を果たしたのだ。秘孔の中で尚も暴れまくる藍子の舌……
「ひゃあぃいいいぃぃ……あああぁぁぁ。ああーん、あん、あん、ああああああ……いいぃ、イヤっ、イクっ、ひぃいい、イクっ、イクっ、イッちゃうぅうううううーーー」
もはや愛美には抗う術がなかった。
見知らぬ天井が目に入った。鎖が何本も垂れ下がり、その先にはフックがついているものもある。照明が抑えられた部屋。背中には硬いものが当たっている。
「私、どうして……」
視力の回復を追いかけて記憶が繋がり出す。
愛美はロープを解かれていた。手首と足首にしっかりと痕を残したままそれぞれの方向に投げ出され、プレイルームの床に仰向けになって無防備なまでに裸身を晒していた。
「はっ」
上体を起こす愛美。
「気づいたのね」
抑揚のない口調だった。藍子のハイヒールが顔の脇にあるのに気づき、愛美は体を丸める。それは今の今、ハダカを見られているからではない。
(どれくらい気を失っていたのかしら)
愛美は、抵抗の甲斐無く気を遣ってしまった恥ずかしさに顔が熱くなった。
「さて、次はこれよ」
藍子は首輪を手にしていた。愛美の目を引く。朋美が付けてくれるものより太く、硬く、頑丈そうに見える。
「まだ、いじめるのですか?」
「そうよ。でも今日の調教はこれで終わりにしてあげるわ」
藍子は膝を折ると、愛美に首輪を付けて南京錠で施錠した。肌触りが荒々しい。首が絞められているわけでも無いのに息苦しさを覚えた。
「さあ、四つん這いになるのよ」
愛美は体を起こす。床に手を付くと手首が痛んだ。
藍子は首輪にリードを付けると引っ張り出した。リードを短く持ち、狭いプレイルームの中をゆっくりと回り出す。愛美は下を向いたままそれに従った。
「愛美ちゃんは露出っこなんですってね。朋美ちゃんから聞いたわ」
愛美は藍子を見上げる。特に表情の変化はないように見えた。
「……はい」
「ハダカで街中を走ったり、磔にされたりするのがいいんだってね。本当はこんな狭いプレイルームではなく、外に出たいと思っているんでしょ」
まさか、このまま外に連れだそうと言うのか。
路地とは言え、繁華街の一角である。今はまだ真っ昼間。このまま外に出たら、いや、出されたら、どうなるのか。雑居ビルの前の道路に通行人がいないということはない。必ず何人かの目にはこの犬のような姿を晒してしまうことになる。
「お返事は?」
「あっ、いえ。それは……」
愛美は何と言ったら良いのかわからなかった。
「昨日、予行演習はして来たって言ってたけど。人に見られる覚悟はして来たんでしょ」
本気で路上に出すつもりだろうか。朋美は「そこまではしないわ」と言っていた筈だ。
藍子はそう言いながらもプレイルームを回るだけだ。鉄格子の前を何度も行き過ぎる。これも焦らしなのか。愛美は繁華街で四つん這いになり、通行人の視線を集め、罵倒される自分の姿を思い浮かべた。
「知ってる人に会わなければいいけどね」
それから何周しただろう。藍子が足を止め、鉄格子の扉を開いた。
「イヤっ! やっぱりダメです」
愛美は手足を突っ張る。ちょうどお散歩中の犬がそうするように鉄格子から遠ざかろうとする。藍子が首輪を引いても言うことを聞かない。このまま外に出るということは、知人に見られる可能性もあるのだ。愛美の住む街からは離れているが、今日は土曜日。友だちが遊びに来ていないとも限らない。
(里奈にこんな姿を見られたら……)
クラスメイトの顔を思い出し、愛美は部屋から出るのを拒み続けた。藍子がリードを両手で引こうが、バラ鞭を鳴らして見せようが、それは変わらなかった。
「しょーがないわねえ。露出っこじゃなかったの」
藍子が力を抜いた。愛美がホッとしたのも束の間だった。
「その代わり、檻に入って貰うわよ」
部屋の隅に置いてある檻を指し示す。黒光りした鉄格子に背筋が寒くなるようだ。閉じこめられたら絶対に逃げ出すことはできないだろう。愛美は躊躇したが、それでも外に出されるよりはマシだった。
藍子に引かれるまま檻に向かう。扉が開かれ、愛美は体を押し込まれた。見かけよりも広かったが、手足を伸ばすというわけにはいかない。金属音を立てて扉が閉じられ閂が下ろされる。藍子が南京錠を見せた。愛美の首輪に付けられたものの五倍はある大きなものだ。それで施錠され、扉を開くことはできなくなった。
「これでもう出られないわよ。愛美ちゃん、お家にも帰れないわね」
「そんな……」
藍子が南京錠の鍵をボンデージの胸元にしまう。
「ここでずっと飼ってあげようか」
普段ならすぐに冗談だとわかることだ。でも、その場の雰囲気が藍子の言葉に現実味を持たせた。愛美はハダカのまま一生ここから出られない妄想に囚われる。鉄格子を掴んでみたが、びくとも動かない。
「愛美ちゃんは罠に嵌ったの。わかってる?」
藍子が檻の中の愛美を見て、さも愉快そうに笑った。
「イヤです。お家に返してください」
愛美は泣き声になっていた。
「そうじゃなくて、この檻、キャスターが付いているのよ」
「えっ……?」
「このまま、外まで押して行けるってこと。もう抵抗してもダメよ」
藍子が檻の下に手を入れキャスターのストッパーを外すと、奥に回り込んで押し出した。重そうに見えた檻が動き出す。藍子ひとりの力でもたいした労力はかからないようだ。
「このまま表のエレベーターに乗せてあげるわね」
四つん這いで外へ連れ出すことに失敗した藍子は別の方法を講じたわけだ。檻の中の愛美にはそれを妨げる手段がない。このまま路上に出されて、通行人の晒し者にされるしかないのか。愛美は胸の前で手を合わせた。
「ひどいです。そんなことしないでください」
そう言っている間にも、檻は出口へと近づいていく。鉄格子の扉は開けたままになっていた。この檻の幅なら通り抜けるには十分だ。
「お願いです。ここから出して」
愛美の声に悲壮感が出始めた。露出っことは言っても、誰もいない場所と時間を選んでハダカになるのが愛美の露出だった。人に見られることは守備範囲に入っていない。藍子はそのことを知らないのだろうか。
「どうしようかなあ」
出口の前で腕組みをして考える素振りを見せる藍子。
その時だった。
外側の鉄の扉が開き、三人の男が入って来た。
「何なのよ。あんたたちは?」
藍子は檻の前に立った。愛美の姿を男たちの視線から隠してくれているのだろう。
「栗田朋美はどこだ。ここに来ている筈だが」
先頭に立つ男が言う。愛美はその声に聞き覚えがあった。
「朋美ちゃんならいないわよ」
「こいつじゃないのか」
後ろから飛び出して来た男が藍子の体を突き飛ばし、檻の前に顔を下ろす。
「こいつ、素っ裸じゃねえか」
もうひとりの男も側に寄って来る。
「なんだ、この前の小娘の方か。おい、朋美はどうした?」
「ちょっと何するのよ。出て行きなさい」
藍子がバラ鞭を振り上げる。が、男のその手首ごと抑えられて不発に終わった。藍子は再び突き飛ばされ、がっくりと体を横たえた。
「藍子さん!」
愛美が叫ぶが、藍子は動かない。
「人を気遣っている場合じゃないと思うがな」
「こんなガキがSMごっことは恐れ入ったぜ。体中、ロープの痕だらけじゃないか」
愛美は檻の中で体を丸める。自分の置かれた立場を思い出した。ここからは出られない。男たちの虜でしかないのだ。
「そんなとこに入ってないで、俺たちとも遊ぼうぜ」
イヤらしい目を向ける男を、先頭にいた男が押しのける。
「お嬢ちゃん、悪かったな。俺は倉木という者だ。細川のお嬢さんに用がある。どこにいるか、教えてくれれば何もしないさ」
全裸で乱暴な男たち三人に囲まれている愛美は、恐怖で体を凍り付かせた。身を縮めて恥ずかしさから逃れようとするが、それもたいした役には立たない。
「あの勇ましかった小娘が、ハダカだとこんなものですかねえ」
後ろの男がからかう。愛美は思い出した。この男たちは、朋美のお見合いの日にホテルの中庭でのぞき見していた連中だ。相手の男性を若社長と呼んでいた。この倉木と名乗る男がリーダーらしい。
それがなぜ朋美に?
「だからいないって言ってるじゃないか」
藍子が意識を取り戻した。頭を打ったのだろう。片手で押さえながら起きあがる。
「本当だな。どこへ行った?」
「さあね。確かにさっきまではここにいたよ。この子を置いて出て行ったきりさ」
「それじゃこいつをさらって行くか。おい、鍵はどこだ」
愛美は耳を疑った。こんな男たちにさらわれたら、何をされるかわからない。
「ほら、鍵を出せよ」
別の男が藍子に迫る。檻から出たら、その瞬間に逃げることができるだろうか。
「鍵は……ないわ」
「そんなわけないだろう。早く出せ」
「本当に無いのよ。朋美ちゃんが持って行ったの」
藍子はどういうつもりなのだろう。ここから出られなければ逃げ出すこともできない。
「いいじゃねえか。このまま連れて行けば。動くんだろう」
男のひとりが押してみる。キャスターに付いていることに気づいたようだ。
「あんたにはもう少し大人しくしていて貰おう」
倉木は床に落ちていたロープを拾うと、藍子の両手を背中にねじ上げて縛り上げた。足首も縛る。さっきまで愛美を縛っていたロープが藍子の自由を奪った。
「縛られた女王様っていうのもなかなかだねえ」
男のひとりが持てはやすが、藍子は取り合っているどころではない。
「その子をどこに連れて行くつもりなの?」
倉木は藍子を見て口元を緩めた。
「それは教えられねえなあ。おい、行くぞ」
男のひとりが愛美を入れた檻を動かす。出口の二重扉を開け廊下へと押し出された。鉄の扉が閉められ、藍子の姿も見えなくなる。結局はこうなる運命だったのだろうか。ついさっきあれほど頼んでやっと連れ出されずに済んだと言うのに徒労となってしまった。愛美にとってはどこに連れて行かれるかより、この姿で外に出されることがまず恐怖だった。
◇
タクシーの後部座席で朋美はケータイをいじっていた。相変わらず愛美とも藍子とも連絡が付かない。藍子に限って心配はないと思うのだが、営業中と違って他のスタッフがいないことも心配の種だった。
何かで気を紛らわそうとサイトを開いた。タクシーの中では他にすることもない。
(そう言えば、『露出っこクラブ』のケータイサイトがあるって言っていたわね)
検索するとすぐに見つかった。パソコンのサイトをそのまま小さくしたという訳にはいかないようだ。ロゴや全体のイメージは統一されているもののコンテンツのかなり制限されている。掲示板はない。愛美のような露出っこたちからの投稿がコメント付きで紹介されていた。
(管理人さんにメールもできるんだ)
朋美には『地下鉄キャッチボール』の課題が出されていた。本気で考えているのだろうか。直接メールしてみようかと「メール」と書かれて文字までカーソルを進める。実行キーを押すとメール作成の画面が開いた。
『朋美です。愛美ちゃんのご主人様をしています。おわかりでしょうか?』
そこまで書いたところで画面が切り替わり、着信音が響く。藍子からだった。受信ボタンを押して耳に押し付ける。
「はい、朋美です」
『朋美ちゃん、ごめん。愛美ちゃんが連れて行かれたの』
「えっ。どういうことですか?」
『突然男たちが入って来て。朋美ちゃんに用事があったみたい。いなかったんで代わりに愛美ちゃんを……後はわからない』
「そんなぁ……」
愛美がさらわれた。
男たちが入って来たって、まさかプレイルームに……
「藍子さん、ずっとプレイ中だったのですか?」
『いいえ、もう随分前のことなの。私も縛られてて、やっと抜け出したところ。ううん、でもかわいそうなのは愛美ちゃん。あの子まだハダカなのに』
「ウソっ!」
朋美はケータイを落としそうになった。
誰が、いったい何の目的で愛美を連れていったのだろうか。そして今どこに。ハダカで連れて行かれたということもショックだった。どんなに恥ずかしい想いをしていることか。いや、恥ずかしいだけで済むとは限らない。
『朋美ちゃん、私、どうしたら……』
「とにかく、そっちに行きます。何かわかったら連絡をお願いします」
朋美は電話を切った。タクシーは元々『赤い靴』に向かっていた。考えがまとまらない。何をすれば良いのか。どうしたら愛美が戻って来るのか。
ちょっと待って。誘拐犯の目的は私? だったらなんで愛美ちゃんを。いや、考えるのはそこじゃない。なんで朋美が『赤い靴』にいるとわかったのか。考えれば考える程わからないことばかりだった。
(そうだ。みんなに連絡しなきゃ)
朋美はケータイに目を落とす。メールの送信画面が表示されていた。途中まで打っていた本文をクリアして書き直す。
『愛美ちゃんが誘拐されました。詳しいことはまた連絡します。 朋美』
宛先欄に電話帳から芳樹と君枝のアドレスを登録して送信ボタンを押す。「あっ」と思ったが遅かった。同報配信の一番上の欄には『露出っこクラブ』の管理人のアドレスが入ったままになっていた。
失敗したと思った朋美だが、すぐに些末なことに思えた。どうせイタズラメールくらいにしか思わないだろう。ケータイを膝の上に載せると着信が入った。
「もしもし、芳樹っ」
朋美はメールを見た芳樹からの電話だと決めつけていた。
『朋美ちゃん、私。藍子』
「あっ、はい。どうしました?」
『男たちが戻って来て、電話しろって……あっ』
「藍子さん!」
電話の向こうで何かあったに違いない。
『鶴岡ハウス工業の倉木というものだ。覚えているか』
電話は野太い男の声に変わっていた。聞き覚えはないが、鶴岡ハウス工業は聡司の会社だ。朋美にお見合いを断られて若い者が脅しをかけてきたと聞いたばかりだ。そう言えば、あの日、中庭にいた男のひとりを聡司がそう呼んでいたような気がする。
「ええ、何となくですが」
『だったら用件はわかるだろう。あの生意気な小娘は預かった。返して欲しければおとなしく言うことを聞くんだな』
「どういうこと。愛美ちゃんは無事なの?」
『ああ、あんたが素直にしている内は、これ以上ひどいことにはならないだろうよ』
「これ以上って……無事な姿を見せてちょうだい」
『そいつはダメだ』
「どうしてよ。そこにいるんでしょ」
『……つまらない話だが、俺は写メが使えない。それだけだ』
今の微妙な間は何だったのだろう。
「だったら藍子さんに撮ってもらえば」
『くだらねえこと言ってると、小娘の立場が悪くなるだけなんだがな』
(こいつ……)
朋美は思い出した。倉木というのは、お見合いの日に、唯ひとり頭を下げて行った男だ。他の男たちとはひと味違う雰囲気を持っていた。
「わかったわ。どうすれば良いの」
『あんた、今どこだ?』
「タクシーの中よ。『赤い靴』に向かっているわ」
『それでいい。後はずっとこの電話を切らずに来るんだ。余計なところに連絡されたんではかなわないからな。俺とのおしゃべりに付き合ってもらうぜ』
「あら、次期社長のお見合い相手を口説くつもりかしら」
内心は冷や汗ものだった。怒らせてしまったのでは愛美の身が危ぶまれる。
『余裕だな。さすがは細川家のご令嬢だ。その余裕がいつまでもつか、楽しみだぜ』
やはり目的は朋美のようだ。相手が朋美に注意を向けている内は愛美に危害が及ぶことはない。その一方で、こうして話をしている間は芳樹たちと連絡が取れない。今この瞬間も電話を掛けているかもしれないのだ。
「そんなんじゃ無くてよ。今だってギリギリの駆け引きをさせてもらっているわ」
『そうかい。だったらもう少しビビって貰いたいものだな。こっちは覚悟を決めてきているんだ。お嬢様のフーゾク遊びとは違うんだよ』
運転席の窓から駅前の高層ビルが見えて来た。この先のガードを潜ればメインストリートに出る。後五分くらいだろうか。向こうに着いてしまえば、居場所を知らせることもできない。
ブラウスには汗がにじみ出していた。
「もちろん怖いわよ。家にも電話したらしいわね。でもあれは逆効果だったみたいよ」
『何のことかな。俺はただあんたが許せないだけだ。若社長をだましやがって。滅茶苦茶にしてやるよ。あんたの体も、人生もな』
「私が聡司さんをだましたの?」
この男は何かを誤解しているのかもしれない。
『言い訳は聞かないぜ。後どれくらいだ?』
「駅前まで来たわ。もうすぐよ」
『よし、だったらそこで下りろ。このビルの前までタクシーで来るんじゃないぞ』
「……わかったわ」
足取りを追わせないつもりか。思っていたよりも甘い相手ではないのかもしれない。いずれにしても今は愛美の無事を確認することが第一だ。ターゲットが朋美である以上、言うことを聞いてさえいればそれが確保される。倉木と名乗る男と話していて、それだけは安心して良いように思えた。
タクシーを降り歩道を歩く。ケータイは耳に当てたままだ。
「あなたの目的は何? 私への復讐?」
『そんなところだ。心当たりはある筈だがな』
あることはある。でも、資金援助のために政略結婚を断られたからと言って復讐していたのでは逆恨みというものだ。何か朋美の知らない事実があるのだろうか。
今朝、愛美とふたりで歩いた路地。期待と不安で朋美にぴったりと貼り付いていた愛美。あれからまだ半日と経っていない。雑居ビルの広告看板が見えた。『SMクラブ 赤い靴』。その文字を、これほど恐ろしく感じたことはなかった。
「着いたわ」
朋美は自分の声の変化に気づいた。相手に伝わらなければ良いが。
『上がって来い。さっきの部屋だ。電話は切るんじゃないぞ』
「わかった」
朋美は雑居ビルの正面口から入る。エレベーターが修理中になっていた。夜のお店ばかり集めた雑居ビルだ。昼間は使う者もいないのだろう。朋美は朝と同じように非常階段へと向かった。早く行かなければと思う気持ちと裏腹に足の動きが鈍くなる。ここから逃げ出したい。自分の中にそうした感情があることを朋美は感じた。
(愛美ちゃんが待っているのよ)
朋美は頭を振る。弱さを打ち消すように非常階段を駆け上がる。とうとう芳樹たちに居場所を伝えることができなかった。せめて今日の予定だけでも告げていたら、さっきのメールに行き先を書いておいたらと、今さらながらに思う。
外扉を開けて中に入った。廊下は朝と変わりがなかった。右側の鉄扉のドアノブを掴む。内側から鍵が掛かっていた。
「どういうこと。入れないわよ」
『ああ、そうだ。入りたければそこでハダカになるんだな』
思いがけない言葉に声が裏返る。
「な、何言ってるのよ」
『こんな場所だ。やることはわかってるだろう。服は邪魔なんだよ。脱ぐところが見られないのは残念だが、素っ裸になってから入って来な』
「でもここは……」
まだ廊下、そう言おうとして気づいた。だからこそやらせたいのだと。
この部屋の中にある責め具を朋美は良く知っていた。SMプレイの為の道具とは言え、使い方によっては本物の拷問具にもなる。素人が扱えば命にも拘わる。恨みを持つ相手に使われたのではどういうことになるか、想像するのも恐ろしい。
『イヤならこっちの小娘に代わりをさせるだけだ。幸いなことにもう素っ裸だからな。脱がす手間もないぜ』
「待って。愛美ちゃんには手を出さないで」
『だったら早くするんだな。わかっているとは思うが、脱いでいる間も俺の声は聞こえるようにしておくんだぞ』
「わかったわ」
朋美はブラウスのボタンに手を掛けた。愛美を巻き込んだのは自分の責任、これ以上辛い思いをさせるわけにはいかないと、指を動かす。躊躇するのを拒むように手早くスカートを脱ぎ捨てる。いつ呼びかけがあるかわからない。片手しか使えないのが不自由でならなかったが、何とか下着まで脱ぎ終わる。
全裸になった朋美。
こんな格好で扉を開けなければならないのか。中にいる男たちのことを考えると胸が凍り付く。彼らは朋美とSMプレイを楽しみたいわけではないのだ。憎しみに任せて、ただ朋美の肉体を痛めつけるためだけにこの部屋の機材を使おうとしている。
歯の根が合わない。膝がガクガクと揺れた。
(芳樹、お願い。助けに来て)
愛美が誘拐されたと連絡はしたものの、朋美の居場所も告げていない。せめて何かひとつでもヒントになるものを残せていたら……今さら言ってもどうにもならない。芳樹にこの場所を知る手だてが無いことはわかっていた。
(こんなこと、いくらでもやってたじゃない)
中学生の頃の朋美は、人前でハダカになることなど何でもなかった。このSMクラブでショーに出たことも一度や二度ではない。自分の意志でやっていたことだ。少しだけその頃に戻るだけ、そうやって自分を言い聞かせる。愛美だけは何としても守らなくては、芳樹に合わせる顔がない。
(私がしっかりしなきゃ。愛美ちゃんを守れるのは私だけなんだから)
朋美は顔を上げる。足の震えも止まっていた。
「ハダカになったわ」
ケータイに向かって告げると解錠の音がして鉄の扉が開いた。朋美は恐怖を押し殺す。
出迎えた男には見覚えがあった。間違えない。昨日、朋美のマンションの近くでも見掛けた。この男が倉木だ。朋美はケータイを握り絞めたまま誘拐犯と対峙した。
(つづく)
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