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第7話 誘拐犯

 倉木に促され朋美は全裸でプレイルームへと入っていく。衣服は廊下に残したままだ。
 こんなに緊張したことはない。何度も出入りしたことのある部屋、間取りも中にある物もわかっている。いつもと違うのは、そこにいる者の顔ぶれだけだ。朋美は自分の体躯を抱きしめる。背後で扉の閉る音がした。
「うひゃあー、いきなりオールヌードかよう」
 部屋の中にはもうひとり男がいた。藍子は後ろ手に縛られ十字架の根本に括り付けられている。口元を少し切っているようだ。
「朋美ちゃん……」
 顔を上げた藍子だが、朋美の姿を見て目を逸らす。
 愛美の姿が見えない。
 朋美は、自分が全裸であることも構わず部屋中を見回し、足を動かす。バスルームに向かおうとして倉木に腕を掴まれた。
「あの子ならここにはいない」
 朋美は倉木をにらみ付け、掴まれた腕をふりほどいた。
「愛美ちゃんをどこにやったの?」
「別の場所に監禁してある。都合良く檻に入ってたんでな。運ぶのも楽だったぜ」
 朋美は藍子を見る。
「ごめんなさい……」
 藍子は顔を上げることなく、それだけを告げた。

――あの子まだハダカなのに。

 電話での会話を思い出す。愛美は今頃どんな思いでいるのだろう。朋美は胸が苦しくなった。
「だましたのね」
「ああ、そうだ。あの子がここにいないとわかったら、素直に脱いでくれないんじゃないかと思ったんでね。まんまとひっかかったな」
 一見冷静に装っている倉木だが、その目は憎しみに満ちていた。どうしてそんな目で見られなければならないのか、朋美には想像もつかない。それよりもまず愛美だ。愛美を返して貰うことが何よりも先だった。
「愛美ちゃんを返して」
 朋美はそのために恥を晒しているのだ。
「ああ、あの子には罪がないからな」
「だったら早く。私はこうしてハダカなのよ。どうにでも好きにするといいわ」
 朋美は両手を広げて見せた。ケータイも投げ捨てる。もうひとりの男が手を叩き、気味の悪い笑い声を上げた。
「そうさせてもらうさ。あの子の無事は保証するよ。見張りは付けているが、手出しはさせない」
(見張りって……) 
「あの子もハダカなんでしょ。今すぐここに連れて来てよ」
 朋美の声が大きくなった。
「人の心配はそれくらいにしておくんだな。おいっ」
 倉木はもうひとりの男に顎で指図すると、朋美の手首を掴み背中にねじ上げた。そこへ男がロープを持って来る。背中で手首を縛られ、さらに胸にもロープを掛けられる。二の腕を力任せに締め上げられた。
「ち、ちょっと待って。愛美ちゃんはどうなるの?」
「いい加減に自分の心配をしたらどうだ。この偽善者め」
 そう言っている間にも、倉木は縄止めを済ませていた。男の力で引き絞られ、ロープが骨にまで食い込むようだ。こんな状態で長時間責められたら、手首から先が壊死を起こしてしまうかもしれない。
「私をどうするつもりなの?」
 それでも朋美は何もなかったような顔で問う。怖れていたことが早くも現実になった。やはりこの男たちはSMの素人だ。好きなように責めさせたら殺されてしまいかねない。もっとも、最初からその気なのかもしれないが。
「それでいい。やっと自分の身を案じるようになったようだな。だが容赦はしないぞ」
 倉木の淡々とした口調が却って恐ろしい。
 朋美は部屋に中央に立たされた。滑車のカラカラとなる音がして天井から鎖が下りて来る。その先端のフックを背中のロープに引っかけて吊り上げられる。体が折れ曲がり上体が床を向く。つま先立ちになったところで滑車が止まった。
「でっかいおっぱいだぜ。さすがに小娘とは違うな」
 男に揶揄されても、朋美にはもはやそれを隠す術はない。それどころか、お尻を無防備に突き出した惨めな姿をどうすることもできない。どんなに気丈に振る舞おうとも朋美は十七歳の少女なのだ。恥ずかしさで気が狂いそうになる。
「どうだい、気分は。あんたにとっちゃ、これくらいは何でもないのかもしれないがな」
 とんでもない話だ。肌に食い込むロープの痛みに体が軋む。ショーでは決してこんな縛り方はしない。M女を吊る時はもっと多くのロープを使い、体重が均等にかかるような気配りがされていた。
「どうせならもっときれいに縛ってもらいたいものだわ」
 倉木が正面に立ち、朋美の顎を持ち上げた。
「細川家のお嬢様とも思えない発言だが、その減らず口がいつまで続くかな」
 朋美は答えない。首を振って倉木の手から逃れた。
「どんなに突っ張ってみたところで、素っ裸で縛られていたんじゃ格好つかねえぞ」
 言われるまでもない。朋美がどれだけの恥辱に耐えているか、この男には想像もつかないのだろう。倉木の言葉にも苛立ちが混ざり始めた。下を向いて垂れ下がる朋美の大きな乳房。その先端を倉木の指が捉える。力任せに乳首を押しつぶされ、朋美は顔をゆがめた。
「こんなのはまだ序の口だぜ。あんたには死ぬより辛い目に遭って貰わねえとな」
 倉木が顎で指図した。
「へへっ、待ってました」
 朋美の後ろに回り込んでいた男が、藍子から取り上げたパラ鞭を振り上げ、朋美の臀部に打ち下ろす。肌で弾ける音が響いた。
「うっ!」
 強烈な痛みがお尻の肉に刻み込まれる。打たれた部分には赤い筋が残っていることだろう。丸出しの臀部を叩かれる屈辱は羞恥に上塗りされ、朋美の心を苛む。
「なんで……」
 朋美は顔を上げた。
「どうしてこんなことをするの?」
 言い終わった時には二発目を打たれていた。朋美の短い悲鳴。だが、視線は離さない。倉木が手をかざし男の鞭を制した。
「心当たりはある筈だがな」
「あるわ。でも、なんでここまでするの? こんなことまでされなきゃならないことなの?」
 たかがお見合いを断っただけではないか。大の男が女子高生を丸裸にして縛り上げる理由になるようなこととは思えない。
「何だとう。このアマ」
 後ろの男が先に声を上げた。
「ああ、あんたにはわからないかもしれないなあ。確かにあの日のあんたは立派だったよ。若社長が本気で惚れ込んでしまうのも無理はない……」
 倉木の目に光るモノが見えた。
「ちょっと待って。私は……」
「もういい。やれっ」
 倉木は男に命じると朋美に背を向けた。バラ鞭の呻る音がプレイルームに鳴り渡る。
「あうっ、あっ、うっ」
 続けて三発。強烈な痛みが庇うことも避けることもできない部分に振り落とされた。
「おもしれぇ。これはおもしれぇぜ」
 男の素っ頓狂な声が朋美をより惨めにした。話はまだ終ってないと言うのに。
「なってないわねえ」
 藍子だった。突然の介入に一同が目を向ける。
「何て打ち方なの。それじゃ全然だめよ。音ばかり大きくて、大して痛くないわよ」
「なんだとう」
 バラ鞭を持った男が藍子に近づく。
「ねえ、私にやらせてみない?」
 藍子は何を言い出すのだろうか。鞭の打ち方を教えてどうするつもりなのか。打たれるのは朋美なのだ。
「どういうことだ。何を企んでる?」
 倉木が興味を示したのは意外だった。後ろ手に縛られた藍子に近づく。藍子の目が不気味に輝いて見えた。ショーの際に魅せる女王様そのものだ。
「私もあの子には恨みがあるのよ」
(あの子って私のこと? そんなバカな……)
「仲の良いお友達にしか見えないがなあ」
「冗談でしょ。昔なじみってだけよ。あの子には随分と惨めな想いをさせられていたの。いつか仇をとってやりたいと思っていたのよ」
「面白そうな話だな。聞かせてみろ」
 倉木の同意を得て藍子が話し出す。朋美が中学生の頃、素人娘が先輩SM嬢を調教するという企画が大当たりした。事務所で藍子が言いかけた話だ。
――店長に言われてショーにも出たけど、私だって小娘の……
 朋美に調教されるのは屈辱だったということか。朋美は本来SでもMでもない。でも、やるとなったら徹底して取り組む質だ。Sとしての調教もハードだった。Mだった藍子はそれに耐えきれずSに転向したのだ。業界では知る人ぞ知る逸話となっていた。
「店長の覚えがいいことを笠に着て、恩人でもある私を散々な目に遭わせてくれたの」
 まさか藍子がそんなに自分のことを恨んでいたなんて。
「なるほど。よくわかったぜ」
 倉木が藍子のロープをほどいた。手首を押さえながら立ち上がる藍子。面白くないのはもうひとりの男だ。
「倉木さん、こんな奴、信用していいんですか?」
「いいじゃねえか。こっちには人質がいるんだ。本物のSMショーをただで見せて貰おうぜ。お前には後でたっぷりヤラしてやるよ」
「へへっ、そういうことでしたら」
 男がパラ鞭の柄を藍子に向けた。
「女の責め方を教えてあげるわ。よく見ておくのね」
 藍子は受け取ったバラ鞭を宙で鳴らした。「ほおぅ」という声をあげ男が退く。朋美の回りを歩き出す藍子。獲物を目の前に舌舐めずりをする牝豹さながらだ。ショーはすでに始まっていた。
「そういうわけだから。たっぷりといじめてあげるわ」
 藍子は朋美の正面に立っていた。
「どういうつもりですか?」
「聞いていた通りよ。私も恨みを晴らさせてもらうの。悪く思わないでね」
 藍子の浮かべた笑みが何を意味するのかわからない。
 朋美はふと思い当たることがあった。ここに来る前からずっと疑問に思っていたことだ。倉木は、朋美が今日ここに来ることをなぜ知っていたのか。こんなにも簡単に藍子を解放するのも不自然だ。でも、もし藍子と倉木が昔からの知り合いだったとしたら、朋美に復讐するという共通の目的のために一芝居打ったとしたら、すべての説明が付く。
「鞭だって、ただ打てば良いというものではないのよ」
 藍子はまた歩き出し、朋美の後ろへ回った。
「こんなになっちゃって」
 朋美のお尻を指先で撫でる。普段であればくすぐったいくらいの刺激でも鞭を打たれた後では敏感な反応を見せる。藍子は顔を近づけると痛みの走る筋に沿って舌を這わした。
「はひぃ」
 子猫に傷口を舐められたような感触だ。多少は沁みても嫌悪感はない。これが平時であれば性感さえ覚えていたかもしれない。朋美の口から息が漏れた。藍子はその瞬間を待っていたに違いない。
「ひぃいいいいいいいいいいーーーー」
 臀部に走った強烈な痛み。藍子が鞭を振り下ろしたのだ。声なんかあげるものかとやせ我慢を続けてきた朋美だが、この一撃は耐えようもない。背筋が震え、つま先立ちの足が宙に浮く。バランスを崩して倒れそうになるが、二度三度と揺れ動きながらも吊り上げられたロープに支えられて元の形に戻る。
「いい声だこと。どお? 鞭は打ち方次第で女の音色が変わるものなのよ」
 藍子が振り返る。
「お見それしました」
 男が手を叩く。隣で倉木が腕組みをしたまま頬を崩した。
「大体縛り方もなってないのよ。これじゃお尻しか叩けないじゃないの」
 藍子が滑車を下ろすと朋美の体が床に横たわる。足には立てるだけの力がなかった。
「何やってんだ?」
 男が歩み寄ろうとするが、それを倉木が止めた。
「任せておきなさい。この子をもっとひどい目に遭わせてあげるわ」
 素早く後ろ手のロープをほどいた藍子だが、今度はそれを体の前でひとつにして縛り直す。ロープを何重にも巻き付け、両手首の間にも縦にロープを通す。朋美は抵抗する気力もない。さっきの鞭が効いていたわけではないが、抵抗したところで愛美を人質に取られている間は同じことだ。
「藍子さん……」
 朋美は藍子を信頼していた。そうでなければ愛美を預けたりはしない。
「手加減は期待しないでね。せいぜい良い声を聞かせてちょうだい」
 藍子はフックを取って朋美の手首から延びたロープに引っかけると、ひとりで先に立ち上がる。滑車が巻き上げられ朋美の体が浮き上がっていく。手首に体重がかかり、体がまっすぐ縦に伸びていく。それは朋美がつま先立ちになるまで続けられた。
「ほらね。こうすれば全身どこでも打てるでしょ。この子のハダカもよく見えるし、一石二鳥だと思わない?」
 両手吊りが完成すると、藍子は朋美の乳房を手のひらに載せて見せた。晒し者にされた身を殊更に強調しようというのか。朋美の羞恥は募る。ただ、指先が体温を取り戻していたのは幸いだった。二の腕に食い込むロープもない。
「あら、おっぱいが寂しそうねえ」
 責め具の掛けてあるボードからクリップを持ち出す藍子。足下に落ちていた物は使わず、わざわざ一回り大きなモノを選んで来た。そして、朋美の目の前にかざして見せた後で片方の乳首を挟んだ。
「あうっ」
 痛みよりも屈辱の方が大きい。
「朋美ちゃんは頭のいい子だから、自分がどうすれば良いか、わかるわよねえ」
「こんな私に何ができるというのですか?」
 その言葉には非難の色が込められていた。
「生意気ね。よく考えてご覧なさい」
 藍子は瞳の奥をのぞき込むように見つめながら、もう片方の乳首もクリップで挟む。顔をしかめる朋美だが、痛み自体はたいしたこともない。それはこのクリップがショー用のもので、見た目は派手だがバネが弱く作ってあるからだ。先端にギザギザもない。それは藍子もわかっている筈だが。
「何よ。せっかく飾り付けてあげたのに不満そうねえ」
 言うが早いか、距離を取った藍子のバラ鞭が呻る。ふたつの乳房を横殴りにしてクリップを一方の壁まではじき飛ばした。
「ぐぎゃあああああーーーー」
 真っ白な乳肉にも赤い筋が刻まれる。クリップを付けられたままの方が楽だった。男が大笑いをしている。倉木も白い歯を見せた。
「そうよ。やればできるじゃない。朋美ちゃんは惨めなM女を演じていればいいのよ。どうせ逃げられないんだし、やせ我慢したっていいことないわよ」
 藍子が乳房を撫でる。朋美は違和感を覚えた。藍子に責められたことこそないが、ショーは何度も見ている。責められ役の羞恥を誘う言葉責めの巧みさは彼女ならではのものがあり、愛美を責める時にも発揮していた。朋美に対する態度は女王様のそれに違いないが、いつもとは別物に思えてならなかったのだが、
「正直になりなさい。ほら、辛いでしょ。恥ずかしいでしょ。こんなことされても、何の抵抗もできないのよ」
 藍子は朋美の恥毛を掴み、引き抜いた。
「はぐぅ」
 指先にまとわりついた繊毛を朋美の鼻先へ運び、顔に吹きかける。避けようにも半吊りの状態ではままならない。これはよく使う手だったが、藍子の責めは予測ができなかった。さっきから裏をかかれてばかりだ。
「羨ましいくらいきれいなおっぱいね。こいつも滅茶苦茶にしてあげるわ」
 両手吊りにされても形を崩さない朋美の乳房。その真っ白な乳肉にバラ鞭の柄が押し込まれる。それを握る藍子の手まで埋まってしまいそうだ。全裸の身を拘束されて好き放題に扱われるみじめさを久しぶりに味わうこととなった。
「口惜しそうね。そりゃあそうか。以前は自分が責めていた相手にいたぶられているんだものね。ホント、あの時は散々な目に遭わせてくれたわ。たっぷりお返ししないとね」
「だって、あればお仕事で」
「冗談じゃないわ。何が仕事よ。中学生の家出少女が何の知識も無しに責めたのよ。どこをどう責めたらどれくらい痛いか。そんなこともわからずに見よう見まねでね」
 藍子は鞭の柄を乳房から取り出し、朋美の頬に当てた。
「面白がっていたんでしょ」
「だからあれは……」
 朋美は、その後の言葉が見つからない。店長の指示に従っただけだが、藍子の言う通り面白がっていたところはあった。この人は本当にこういうことをされるのが好きな変態なのだと信じていた。
「あんたにわかる? 十歳以上年下のガキにいいようにされるのよ。下手な責めを受けたって文句も言えず、泣き叫ぶしかないの。黙っていられた方がまだマシよ。でもそれではお客さんが喜ばないから許しを請うしかない。ド素人の小娘に泣いて謝るの。それがどんなに惨めで耐え難かったか。わかる訳ないわよねえ」
 藍子の声がどんどん大きくなっていった。朋美もバカではない。回を重ねるごとに感じてはいた。間接的だが、藍子の気持ちを聞いてもいた。マンションの管理人として顔を合わせた時にはバツの悪さを感じもしたが、時々冗談のように口走る藍子に大人の度量を感じていた。こんな形で本音を聞くことになるとは。
「何か言ったらどう?」
 朋美は顎を掴まれた。藍子の指先が頬に食い込む。
「今日は朋美ちゃんが責められる側になったのよ。思い出して。自分がどうすれば良いか」
――どうすれば良いか
 藍子はさっきもそんなことを言っていた。思い出してと言われても……
 部屋の隅で手を叩く音が聞こえた。
「面白い話を聞かせて貰ったよ。女ってのは恐ろしいほど執念深い動物だな。どれだけ残酷になれるか見物だぜ。なあ、おい」
 倉木だった。
「全くですぜ。おい、女。思う存分仕返ししてやるんだな」
 隣の男も一緒になってはやし立てる。人間というのは他人の不幸が楽しくてならないらしい。藍子の一挙一動に期待の眼差しを向けている。素人娘が先輩M女を調教するという企画が大当たりするわけだ。
「お客さんもお待ちかねみたいね」
 藍子が距離を取り、バラ鞭で宙を打つ。一本鞭で無いのが幸いだった。SMクラブでは一発一万円が相場の一本鞭だ。それだけSM嬢にかかる負担が大きい。
「本気で行くわよ。今日は調教じゃないからNGワードは無しだからね。覚悟するのね」
 藍子は、朋美の正面を右に左に行き来するだけで、なかなか打ってこない。天井から吊られ真っ直ぐに伸びきった朋美の裸体。どこを打たれようが逃れられない。緊迫した空気は観客を巻き込む。
「お、おい。何だよ、そのNGワードって?」
 男が一歩前に出た。
「ああ、業界用語よ。調教が厳しくて、責められる側がどうしても耐えられない時にNGワードを言うと、手加減して貰えるの。あるいは他の責めに変えて貰うか」
「なるほど。それで今日は無しか。こいつは厳しそうだな」
 返事を返したのは倉木の方だった。
「ええ、もちろんこの子もわかっていると思うわ」
 朋美の目に怯えの色を誘っているのだろう。藍子はバラ鞭を鳴らしながら上目遣いでのぞき込む。
「いい声をあげるのよ。いいわね」
 藍子が鞭を振り上げる。朋美は左の脇腹に力を入れた。あの角度なら打たれるのはここに違いない。バラ鞭の一撃が予想通りの部位に激痛をもたらす。
「うぐぅ」
 悲鳴を飲み込んだと思ったのも束の間だった。
「ひぃいいいいいいいいーーーー」
 次の瞬間には返しの鞭が反対側の脇腹を捉えていた。不意打ちとなった二発目が朋美の肺から空気を絞り出す。ヒリヒリとした痛みが皮膚を熱くする。
「うーん、いい声。でもちょっとうるさいわね」
 自分で悲鳴を上げさせておいて、今度は「うるさい」と言う。どっちにしても責められる理由にしかならないのは女王様の常套手段だ。倉木と男が顔を見合わせて苦笑した。藍子は自分が打った部分に指先を這わせると、責め具のボードからボールギャグを取ってきた。
「口を開けるのよ」
 そういう藍子を朋美は黙って見下ろす。
「手間を掛けさせないの」
 藍子は朋美の鼻を摘む。息ができなくなって開いた口に無理やりボールギャグを押し込んだ。頭の後ろでベルト留めされ、朋美は抗議と悲鳴を封じられた。
「どうせNGワードは無しなんだし、最初からこうすれば良かったわ」
 藍子の鞭が呻る。
 体に痛みが落ちても声を上げることすらできない。意地でも上げるものと思っていた朋美には好都合でもあったが、藍子の意図がわからなかった。ショーとして見せるなら悲鳴を上げさせた方が良い。ボールギャグには舌を噛まないようにする目的もあり、むしろM嬢を保護する道具でもある。
 藍子の鞭が全身を隈無く打つ。朋美の周囲を何周したかわからない。臀部を叩いて二三歩進み、胸を叩いてはまた歩く。肌という肌が冷や汗にまみれ、ボールギャグの内側に悲鳴がこもる。痛打に合わせて唾液が宙に飛ぶ。体躯がくねる。つま先立ちの両足から力が抜け落ち、手首のローブのみに体重がかかっていく。
――百まで数えるんだよ。
 中学生の頃、調教を受けている時に言われたものだ。そこまでもたずに気を失ってばかりいた。それでも終わりがあることは救いだった。
「あんたが悪いんだからね」
 鞭を打って回る合間に藍子が言葉を挟む。NGワードも許されない。ただ自分を苦しめるためだけの拷問。終わりがあるのかもわからない。朋美の苦痛や体力とは無関係に、藍子が打ち疲れるか、男たちが飽きるまで続けられるのだろう。自分がMではないことが恨めしかった。この苦痛に快感を覚えることができたのなら、少しは楽であっただろうに。
 愛美を助けるためにここへ来た朋美だが、こんな目に遭わされてもその目的に近づいているとも思えない。藍子の鞭裁きに、うめき声を搾り取られるばかりだ。気力も体力もどこまでもつのだろうか。
 遠のく意識の中で、朋美は鞭がぬるくなっていることに気づいた。
 正確に言えば、強烈な一撃は最初数発だけだったかもしれない。少なくともボールギャグをくわえさせられた後の鞭打ちは音ばかりが大きく、痛みはさほどでもないものばかりだ。一本鞭ならこうはいかない。バラ鞭だからこそ、そして鞭の扱いに慣れたベテランだからこそできる技だ。
(藍子さん、手加減はなしだって言っていたのに……)
 朋美の全身に鞭の痕が広がっていた。一カ所を何度も叩かないのも内出血などを起こさないための配慮だろうか。あれほどの恨み言を言っていた藍子だ。朋美には何が本当なのか、わからなくなっていた。
「大したものだなあ。さすがは藍子だ」
 一同が振り向く。声の主は、
「君島浩二……」
 朋美は幻覚を見ているのかと思った。プレイルームの入り口に立っている男・君島は三十台半ば、やせ形で濃紺に縦縞のスーツを来ていた。派手な指輪が目立つ。そり込みの入った髪型と言い、一目で遊び人のわかる風体だ。
「これは君島さん、いらしたのですか」
 倉木が出迎える。一緒にいた男が一歩下がって手揉みをする。昨日、ファーストフード店の中から見掛けた男。倉木と一緒にいたのは、やはりこの君島だった。
 片手を上げて倉木たちの挨拶に答えると、君島は朋美の正面に立つ。
「相変わらず、いいおっぱいだな。えっ、朋美よぉ」
 君島が朋美の乳房を鷲掴みにした。
「あなたが何でここにいるの?」
 朋美は目を逸らしたままだ。
「何でとはご挨拶だなあ。お前にこの店を紹介したのはこの俺だぜ。今じゃ藍子とだってよろしくやってる。お前が来るっていうから顔を出してやったのによ」
「えっ、藍子さんが……」
 朋美が顔を上げる。その前に藍子が飛び込んだ。
「あんた、遅かったじゃないか。こいつらを追い出しておくれよ」
「それはできない相談だな。こいつらは俺の連れだ」
 藍子の肩に君島は手を載せた。誰よりも驚いた表情で見返す藍子。朋美には状況が掴めない。藍子と君島が顔見知りなのは知っていた。朋美がこの店に出入りしていた頃より深い関係になっているらしい。倉木たちを「連れ」と呼ぶことにどういう意味があるのかは見当も付かない。
「だってこいつら朋美ちゃんを。あんたが来るまで時間を稼いでいたのに」
「それであのぬるい鞭か。あれじゃ朋美も欲求不満だろうよ」
 藍子が後ずさりする。
「あんたがこいつらを呼んだの?」
 それには答えず、君島は朋美の下腹部へと手を持っていく。ゆっくりとした動作で腰から脇腹へと指を這わす。それが下乳に達すると、指を浮かせて乳首を弾いた。
「そうなのね。でも、どうして?」
「朋美を取り戻すためさ。こいつらも朋美に恨みがあるって言うんで手を貸してもらったんだ。もう一度ボロボロにしてやらねえと、帰って来そうにないからな」
 藍子は朋美に視線を向けたが、すぐに君島へと戻す。
「ひどいわ。もう昔のことだって言ったじゃない。私を愛しているって」
「こいつはただの金づるだ。俺とお前で調教し直してたっぷり稼がせて貰おうぜ」
「何よ、それ……」
 藍子は下を向く。半信半疑が顔に出ていた。
「と言うわけだ。また仲良くやろうぜ」
 朋美は口を突き出して首を振る。君島はボールギャグを外すと、ポケットからハンカチを出して口の周りを拭う。
「かわいい顔が台無しだな」
 朋美が家出していた頃、男を斡旋して金儲けをしていたのが君島だ。このSMクラブも交流場所のひとつだった。その頃の朋美には善悪の区別もなく、家に頼ることなしに暮らしていければそれで良かった。君島の言う通りにしていれば楽しいこともあった。細川の家の者に見つかり連れ戻されたままになっていただけで、君島とは別れの言葉も交わしていなかった。
「今さらそんなこと……」
 それだけ言うのが精一杯だった。
「つれねえなあ。女にしてやった恩を忘れたってのか」
 君島が朋美の頬骨を掴む。
「まあ、お互い様か。俺も忘れていたんだからな。藍子と一緒になって持田ビルに食わせて貰おうとも思っていたんだが、たまたまこいつらと知り合ってな。お前のことを思い出したわけだ。あの頃は楽しかったよなあ」
 朋美は君島を愛していたというわけではない。時には抱かれることもあったが愛人というより商売道具の方が近いだろう。特に恨んでもいなかった。ただ、今となっては会いたくない人物であったことも間違いない。
「ごめんなさい。君島さんとはご一緒できません。父と約束したんです。もうおかしなマネはしないと。私は、あの頃の生活には戻れません」
 朋美は顔を上げ、君島の目を見てはっきりとその意志を伝えた。朋美の脳裏には父の顔が、そして芳樹の顔が浮かんでいた。
「そんなことだろうと思ったぜ。まあ、気が変わるってこともあるかもしれないがな」
 君島はわかっていたことのように言う。
「倉木さん、あんたらの出番だ。この女を好きなように痛めつけてやってくれ。藍子だとどうも同僚のよしみが出てしまうらしい」
 君島が藍子の手からパラ鞭を取り上げた。
「いいんですか。お話を聞いてますと……」
「ああ、かまわねえよ。俺の女って訳じゃないんだ。気兼ねすることもない」
「それじゃ遠慮なく」
 倉木ともうひとりの男が朋美に近づく。藍子がその間に割り込んだ。
「何のマネだ」
 男ふたりの後ろから君島が低い声を出す。
「ダメっ。朋美ちゃんをいじめないで」
「藍子さん……」
「ゴメンね、朋美ちゃん。私が君島さんに今日のことを話したの。こんなことになるなんて夢にも思わなかった。朋美ちゃんのことはもうすっかり忘れていると思っていたのに」
 倉木たちは顔を見合わせ、君島を振り返る。藍子は君島の情婦。手荒なマネはできない。
「お前がバラ鞭なんか使ってるからつけ上がるんだろう」
 君島が倉木たちを押しのけ、藍子の顔面を手のひらで両側から押しつぶす。
「お願い、朋美ちゃんのことは諦めて。私があんたを一生食べさせるから」
 まんざらウソでもなかった。藍子の父親は都内に貸しビルやマンションを持つ資産家だ。何もしなくても毎年数億の家賃収入がある。君島が「持田ビルに食わしてもらう」と言ったのはそういう意味だ。
「うーん……」
 君島は藍子に背を向け腕組みをした。倉木たちの顔を見て片手を上げる。「ちょっと待ってくれ」という合図だろう。そのまま歩き出し、朋美の後ろに回り込む。そこで足音が止まった。真後ろから裸身を見られているのだろうか。静寂が脳を侵す。普通に服を着た人たちの中で自分ひとりが丸裸。その事実を思い出し、朋美は羞恥に苛まれる。
「よし、じゃあこうしよう」
 君島が手を鳴らした。一同が目を向けるが、朋美だけは向きを変えることができない。
「藍子が朋美を責める。一時間以内にギブアップさせることができれば藍子の勝ち。耐え続ければ朋美の勝ち。負けた方は倉木さんたちに輪姦{まわ}される。勝った方は俺の情婦だ。これでいいだろう」
 真っ先に反応したのは藍子だった。
「負けたら私を捨てるって言うの?」
「ああ、そういうことになるな。だがな、責め方はお前の好きにしていいぜ。一時間もいらないんじゃないか」
 君島が何かサインを送ったのだろうか。藍子の目が微妙に動いた。目的の物を朋美の背後で見つけたようだが、目が重なりそうになると慌てて避けた。
「えっ、ええ。わかったわ。その代わり約束は守ってよね」
「わかってるって。倉木さんはどうだい?」
「必ずどちらかの美女を抱けるってことですか。でもなあ、俺たちはこの女がボロボロになるところが見たいわけで……」
「ボロボロになりますよ。この条件なら藍子も本気で責めますぜ」
 その通りだろう。藍子が負ければすべてを失う。君島は朋美を情婦にして昔の生活に戻ると言っているのだ。さっきまでのぬるい責めは期待できない。死にものぐるいで責められたら、一時間は長過ぎる。
「わかりました。その条件でオーケーです」
 倉木が答えた。
「それじゃ決まりだな」
 君島の足音が動き出す。朋美の正面まで来ると、他の三人を背に対峙した。
「いいな。そういうわけだ」
 勝手に決めつけているが、朋美には納得のできる条件ではなかった。負ければ輪姦。勝っても情婦。そんな勝負に意味があるのか。藍子に責められる苦痛から逃れるなら早々にギブアップしてしまった方が良いかもしれない。
――あっさり捨てちまうんじゃないか
 芳樹の言葉が甦る。
(そんなことしないよね。芳樹のカノジョでいさせてくれるよね)
 朋美の心は折れそうだった。それでも声を絞り出す。 
「私の了解は得ないのね」
「お前にそんな権利があるわけないだろう。勝負させて貰えるだけでもありがたく思え」
 君島は、朋美を何だと思っているのか。そもそも朋美を解放する気など最初からないのだろう。どこまでも付きまとって朋美のヒモになるつもりか。確かに中学生の頃に朋美は君島のいいなりだった。怖かったわけでも慕っていたわけでもない。君島は「お前が必要だ」と言ってくれた。それたけで、後はどうでも良かったのだ。君島にとって朋美はあの頃のままなのかもしれない。
「それじゃ準備しろ。十分後に始めるぞ」
 君島は藍子に向かって言った。
「はいよ。あんた」
 藍子は朋美を吊っている鎖を下ろし始める。どうするつもりなのだろう。君島とアイコンタクトを取っていたのはわかっているが、朋美をボロボロにする責めとは何を意味しているのか。
「藍子さん……」
 いじめないでと庇ってくれた藍子。手首のロープだって、倉木たちに縛られたままにしていたら指先に血が通わなくなっていたに違いない。鞭打ちもしかりだ。藍子自らが行うことによって朋美の苦痛を和らげていたのだろう。朋美はそれに気づくことができなかった。
 でも今は違う。本気で責めるつもりなのだ。さっきから朋美の顔を見ようとしない態度がそれを告げていた。
 床に倒れ込む朋美の上体を抱き起こし、両手を後ろ手に高く組ませる。肩胛骨の内側で縄止めをして二の腕から胸へとロープを回す。乳房の上下に三巻ずつ回して引き絞る。強過ぎればM嬢がもたない。弱すぎればプレイ中に縄がたるんで白ける。絶妙の力加減が要求された。もちろん藍子は手慣れたものだ。乳房の下側のロープに背中から脇の下を通したロープを引っかけてさらに絞る。それを左右両方で繰り返す。ロープのたるみが無くなり、胸を圧す。
 高手小手縛りができあがると、藍子は再び鎖を下ろし、手首の縄止めの上にフックを引っかけた。倉木たちがやった時よりもずっと重心が上になる。また吊られるのだろうが、それだけで済む筈はない。
「どうだ。準備はできたか」
 君島が藍子の後ろに立った。
「ああ、もうすぐだよ」
 藍子は鎖を巻き上げる。胸のロープが締まり、腰が宙に浮く。つま先立ちになっても上昇は続いた。朋美の体は天井の近くまで吊り上げられた。SMクラブで一通りの調教は受けた筈の朋美だが、ここに至ってもまだ藍子が何をしようとしているのかわからない。それもその筈だった。朋美は本当の意味でこの責めを受けたことがなかったのだ。
 次の瞬間、朋美は一瞬にして血の気が引いた。藍子が三角木馬を押し出した。重々しい形だ。キャスターが付いていなければ男が二人がかりでも動かないだろう。倉木たちが手を貸し、木馬が朋美の真下に設置された。
「イヤっああああああああああああああああーーー」
 朋美は喉が潰れんばかりに叫ぶ。鞭の不意打ちを受けた時にもこうはならなかった。木馬の背の頂が朋美の秘部を一直線に指している。恐怖が朋美の全身を包み、記憶を掘り出して心臓を責める。
「ダメっ! これだけは絶対ダメっ。勘弁してください」
 張り上げる声に背を向けたままの藍子。朋美の哀願を無視したままボードから一本鞭を取り、大きく振る。室内の空気を切り裂き、床を弾いて大きな音を立てた。
「朋美もこれだけはダメだったんだ」
 君島が倉木たちに解説を始めた。
「こいつだけじゃない。今までに誰一人として耐えられたM女はいないんだ。羞恥と苦痛を一度に味わうことになる。こいつは見物だぜ」
 朋美に聞かせるように言っているのだろう。朋美は一度だけこれに乗ったことがある。腰を下ろした瞬間の激痛は他の何にも例えることができない。その時、両手吊りだった朋美は見栄も外聞もなくロープにしがみついた。長くは続かなかったが、腕を曲げている内は腰を浮かすこともできた。それが今は後ろ手縛りだ。これでは何もできない。自分の体重がすべて敵となる。
――一時間もいらないんじゃないか
 君島が藍子に言ったのはこういうことだったのか。以前の朋美は五分と保たなかった。一時間なんて気が遠くなる話だ。
「始めるわよ」
 藍子が下を向いたまま宣言した。君島が親指を立てて壁掛け時計を示す。
「いいか。あの時計で一時間だ。気を失っている間はカウントしないからな」
 非常な言葉だった。一見当たり前のようだが、例え気を失ったとしてもその間に回復するわけではない。むしろ痛みは重なっているのだ。一時間が七十分にも八十分にもなるかもしれないということだ。
 藍子が滑車を卸し始めた。朋美の股間が尖りに近づいていく。
「イヤっ、やめて。これだけは。や、やめてください」
 藍子は目を伏せたが、手を止めることはない。朋美の足が木馬の先端に届く。素足で乗るだけでも激痛が走り耐えられるものではない。朋美は思わず両足を揃え、木馬を跨がずに済まそうとした。
「おい、おい。それは反則じゃないのか」
 君島が藍子に目配せする。手を止めた藍子の鞭に命が宿った。
「ぐげぇっ」
 一本鞭が朋美の胸を捉えた。バラ鞭のような表面上の痛みではない。声が出るより先に息が詰まる。そして肌を割く激痛はその後でやって来る。
「ぐぎゃあああああああああああああーーー」
 たった一発で全身の毛穴から汗が絞り出されるようだ。
「足を開いて跨るんだ。そうじゃないと勝負が始まらないだろうが」
 藍子が朋美の足首を取って三角木馬の左右に分ける。股下三十センチのところまで先端が迫っていた。その鋭角に研ぎ澄まされた馬の背が朋美の恐怖を煽る。すぐ側まで来た藍子に朋美は最後の願いを伝える。
「お願いです。藍子さん。これだけは勘弁してください。他の、何か他の責めに変えてください。お願いします。藍子さん。藍子さん」
 藍子は下を向いたまま少しだけ間を置いたが、
「うるさいわねえ。それ以上騒ぐとギャグを噛ませるよ」
「ひぃいいいーー」
 朋美は吸い込んだ息が胸の奥で凍り付くのを感じた。ギャグを噛まされたらギブアップができない。どうあっても一時間は木馬に乗っていなければならなくなるのだ。この一言で藍子がいよいよ本気なのだと思い知らされた。
 藍子が再び滑車を下ろし出す。もはや避けようが無い。恐怖が現実に変わる瞬間が刻一刻と近づいていた。膝が二等辺三角形の両辺に触れる。朋美にできることは、内股でこの両辺を挟んで股間に加わる重量をいくらかでも減らすことだけだった。それを見て藍子は顔を伏せる。君島は顎に手を当てて笑みを浮かべる。
「ひぃっ」
 朋美は皮肉に冷たい物が当たるのを感じた。そしてそれはじわじわと食い込んで来る。刃物を押し付けられているような恐怖。でもそれは決して朋美の命は奪わない。永遠の苦痛となって肉体に居座るのだ。
「あがぐぅううううーーー」
 鞭のような切れのある痛みではない。重く深く突き刺さる激痛が陰部を責める。女の羞恥を責められ、意地も張りも打ち砕かれる。何でもいいからこの痛みから解放して欲しいと願う。朋美を吊っているロープにまだ緊張が残っている内からこれだ。たるみが出る頃には後五センチは体が下がっていることだろう。
「イヤっ、げっ、ぐがぁああああああああぁぁぁぁ」
 朋美の口は意味のある言葉を吐かなくなる。最深部まで降りる前に藍子は手を止めた。
「あんた、時計は」
「お、おう。そうだったな。一分経過ということにしておくか」
(まだ一分……)
 朋美はかろうじて意識を保ってはいたが、それも後どれだけ保つことか。ギブアップしてしまいたい。後はどうなっていいと思い始めていた。どうせ一時間も耐えられはしないのだから。
「ぐわぁあああああああああああーー」
 滑車が再び動き、ロープは朋美を木馬から落とさないだけの役割しか果たさなくなった。全体重が木馬にかかる。木馬の両辺を膝で挟み込み苦痛を和らげているものの、目の前の光景がゆがむ程の痛みは想像の範囲を超えていた。
「頑張るじゃねえか。あれでいつまで保つのかな」
 君島は自分の膝を指さし、倉木たちに朋美のしていることを解説した。不安定ながらも、今のままなら木馬の頂点が食い込む部分を少しずつずらして痛みを分散することもできるが、太ももが力を失えばそれも不可能。悪魔の責めを一カ所で受けなければならなくなる。朋美にとっては唯一の救いになっているのだと。
「汗で滑ったりしなんですかね」
 倉木の脇にいた男が口を挟んだ。
「それはいいことに気づいた。試してみようじゃないか」
 君島は浴室からローションの瓶を持って来ると、朋美のすぐ下に立った
「これが何だかわかるか。さっきズルした罰だ。たっぷりと味わいな」
 朋美にはその意味が理解できない。君島は三角木馬の両辺にローションを垂らしている。流れていったそれは太ももから膝へと下りていく。
「ぎゃあっ、がぐぁああああああああああーーー」
 ローションの滑りで膝が両辺から落ちたのだ。元々この三角木馬は両辺の面積が狭い。太ももを持ち上げる力が少しでも損なわれると底辺より下まで行ってしまう。そうなってしまっては陰部の苦痛を和らげる手段はない。朋美の全体重がその部分に集中する。ただでさえ気が狂いそうだった痛みが何倍に膨れあがった。
「ああ、ダメっ。も、もう、ああああぁぁ、ダメぇ……」
 ギブアップともとれる言葉を吐く。藍子が駆け寄った。
「朋美ちゃん、ゴメン。ゴメンね。これがどんなに辛い責めか、私が一番良く知っているのに。でも、私はどうしても負けられないの。この歳になって、今さら君島さんに捨てられるわけにはいかないのよ。だから……」
 君島を押しのけて朋美の真下に入った藍子だが、朋美にはその顔も歪んで見えた。耳には届いていても、理解するのは牛歩の歩みだ。
「あがっ、ぅぅぅ、ぐがぁあああーー」
 藍子がやっと答えてくれてと言うのに、朋美は返事をするどころではなかった。
「だからせめて、少しでも早くギブアップして」
 藍子は口を横に結ぶと君島を遠ざけた。自分も距離を取ると一本鞭を水平に振り抜く。先端が朋美の腰に巻き付き腹部を弾く。引き手と共に逆のルートで肌を離れた。
「ぐぎゃあああぁぁ」
 この鞭の意味は君島にもわからなかったに違いない。体に巻き付く鞭は、痛みそのものもさることながら、その威力は朋美の体躯をずらした。陰部を凶器の先端に押し付けている朋美にとっては傷口をナイフで擦るようなものだ。巻き付く時と引く時、二回に渡る衝撃は朋美の意識を飛ばすに十分なものだった。
(つづく)



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